映画音楽の録音に政恒がニューヨークへ出かけたのは十二月に入ってすぐ。クリスマスまでには帰国するという話で、久しぶりに二人で過ごす時間を密かに楽しみにしていた。けれど実際に蓋を開けてみれば押し捲るスケジュールに滞在期間は伸び続け、結局それが叶うことはなかった。それでもクリスマス休暇返上を半ば強引に決行し、年末の飛行機の確約と一週間のオフは取り付けたと次の約束を差し出されれば、会うのが少しだけ先延ばしになっただけだよと笑ってさえいられたのだけれど。

 

 

 


「悪い。やっぱり間に合わなかった」
「そうだね」
 開口一番聞こえてきた謝罪の台詞は予想と違わず。それでも思わず漏れそうになったため息を押し留めることに精一杯な僕は、知らず素っ気無い返事になる。
「クリスマス返上で頑張ったオレにこの仕打ちってさ、あんまりじゃない?」
 それでもそこにいるだけでたくさんの人を惹き付けてやまない彼の拗ねた口ぶりは、それだけで落胆していた僕の口元を緩めた。
「だね」
「だね、ってさ。それだけかよ。佳久、つめてーぞ。」
「だって政恒、子供みたいだよ」
「あ?! なんだよ、その余裕発言。お前、会ったら覚えとけよ」
 会いたいと口にするより先、会えなくてつまらないと言葉にしてくれるから仕方ないよと慰めるしかなくなるだけなのに。そんな冗談半分の恨み言は、どうしようもなく僕を嬉しがらせる。
「だから来るのがイヤだったんだよ。この時期のニューヨークなんて」
「ついこの間まではインスピレーションを刺激するところだって絶賛してたくせに」
 携帯の向こうで愚痴る君を宥めながらそっとカーテンを引くと、忍び込むように触れた冷たさに背中が震えた。真っ暗な闇に響く除夜の鐘の数はもう残り少ない。ちらつく白いそれが静かに落ちていく先には、近くにある神社へ向かっているのだろう家族連れや恋人達らしき姿があるものの、こじんまりとした神社は例年通りの参拝客らしく、去年と変わらない静かな大晦日がそこにある。いつもの年越しの光景がなんとも味気なく感じることに、その存在の大きさを思わずにはいられない。
「もう絶対この時期には行かない。決めた」
 僕にとって全く違うものになるはずだった今年最後の日。ニューヨークに大寒波が到来し、一面白で覆われたそれを夕暮れが染める中、あちこちで立ち往生する車を伝える海外ニュースを見るまでは、それは現実になるはずだったのだけれど。積雪に電車やバスは運休だという状況で、飛行機なんて飛ぶわけがない。空港閉鎖となったまま欠航中の便がいつ飛ぶかすら分からないというチケットカウンターは、きっと今も年越しを空港で迎えてしまうかもしれない人達で長蛇の列をつくっているのだろう。
「な、佳久」
「ん?」
「ごめんな」
 約束の取り消しに対してなのか、仕事のせいでままならない時間のことなのか。優しい声音が耳元に落ちて、僕は微笑む。あの告白の日からまだ数えられるほどしか会えないでいるけれど、離れていた時間を埋めようとしてくれている君をこれ以上どうやって好きになっていいのか分からないぐらい大きく膨らんだ想いは、切ないぱかりでいた頃と違って温かい。
「なんでゴメン?」
「だってさ」
「クリスマスも年越しも、これから何度だって来るし」
「そりゃそうだけど」
 そういうんじゃなくてさ、と口ごもる間に僕は滑り込む。
「今年が駄目でも来年だって、再来年だってある」
 そう。期限付きで過ごしたあの頃とは違う。今が全てなんかじゃない。
「だよね?」
 そう思える僕に君が変えてくれた。
「当たり前。てか今さらだろ」
 呟くようなそれは、いつもより早口で。
「この先ずっと、お前の隣を他の誰かに譲る気なんかないんだからな」
 それでも同じだと伝えてくれる。君の見る未来に僕もいるのだと。
「ということで、絶対一緒に行くぞ、初詣」
 だから、今はちょっとだけ余裕のあるふり。
「別に再来年でいいのに」
 会いたい、という代わりにそう言ってみせる。
「やだね。せっかくの新年、お前以外の誰と祝うって?」
 強がりばかり口にする僕を、君の声はまるごと包み込む。
「まずはとりあえず」
 そう言ったきり途切れた声に耳をすませた。けれど届いたのは遠くに聞こえた鐘の音。
「ハッピーニューイヤー、佳久。今年もよろしく」
 それが百八つ目だったと、君の声で知る。
「お前の新年の挨拶の最初は俺だな」
 それ、何の自慢にもならないよ、と笑って同じ台詞を繰り返そうとしたのに。
「お前は俺に会ってから」
 そうか。ニューヨークはまだ大晦日だっけ。遮られて、声の近さとかけ離れた距離を思い知らされる。
「それじゃ政恒の最初は来年までおあずけだね」
 やっぱり今すぐ会いたい。声だけじゃ足りない。僕こそ子供みたいだと我儘を飲み込んで大人を装う。だけど。
「何で。俺の最初もお前に決まってるだろ」
 一人旅なんかじゃない。大勢のスタッフの人と一緒でそんなことは無理にきまってるくせに、平然と嘯く君に。
「分かってるか?親孝行は済んでるだろうな。俺が帰ればお前の残りの正月休みは全部俺のもんだぞ」
 優しく甘い束縛のそれに唆されて。
「そうだけど。早く帰って来なきゃ、なくなるよ」
 かすれたそれは抑えたはずの、押し込めていたはずの寂しさが零した言うつもりのなかった本心。
「待ちきれなくて、杉下に電話しちゃうかも」
 かろうじて付け足したそれもどこか空々しく聞こえて唇を噛む。大丈夫だって、ちゃんと待ってるよって言いたいのに。
「そりゃヤバイ」
 おどけて笑う声に、こみ上げてくる何かが胸を塞いで頷くだけしか出来ない。
「今すぐ佳久を迎えに行かないと」
「ん」
「な、佳久。雪」
 そう聞こえたきり、その声がふつりと消えた。聞こえる僅かな音らしきものに切れていないことを確認しながら、開いたままだったカーテンに近付く。向こうの雪はまだ止まないのだろうか。ついたため息に、曇る窓ガラスの向こう側。
「こっちも降ってたな」
 見えたのは闇に紛れてしまいそうな真っ黒のロングコート。
「ま、さつね……?なんで」
「ほら、新年あけましておめでとーは?」
 悪戯が成功したみたいに楽しげな声で催促するウソツキが笑っている。
「言わない!」
 言い捨てて、携帯を放り投げた。
 想いが形作った幻のようにそれが消えてしまう前に、その温もりを確かめさせて。そうしたら、ちゃんと言うよ。
 新しい年に、想いを込めて。

 

 A Happy New Year!
 

 

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