ぶつかり合う身体を押し合いつつ、境内にとどまる人波に揉まれながら吐き出した息は白い。
 数時間前より冷え込んでいる気がするのは、日付が変わったばかりだというせいだろうか。
 新年だからというだけでのこの人ごみも、なかなか進まないこの状態にも、俺はいい加減うんざりしていた。
「信仰心があるんだか、ないんだか」
 間違いなくここにいる大多数が、つい一週間前はキリスト教徒のイベントで盛り上がっていたはずだ。もちろんご多分に漏れず俺もノッたクチではある。
 ただ俺にとっては高そうなレストランで甘ったるいケーキを食って見栄の塊のプレゼントをやり取りするソレも、初詣っていうコレも、
「もー、聞いてる? エーイチ」
 舌足らずな声で、ふくれっ面をしてみせる彼女達と過ごすイベントのひとつに過ぎない。
「ん? あんまりオマエが可愛くて、聞いてなかった」
「やだぁ」
 細い身体をすり寄せられて肩を抱いてやると、媚びるような瞳がそこにあった。
 どんな表情をしてみせれば可愛く見せられるのか計算ずくの仕草を横目にしながら、連れて歩くには上等な部類だと周囲の野郎どもの羨ましげな視線に満足する。ただその一方でそれを作り物めいているとも思うのは、親友の隣にひっそりと並ぶ存在にあるのかもしれない。
 いつからだったろう。無意識に向けられていたオミの眼差しの先に気付いた時、正直その平凡さが意外だった。
 見た目はそんなに悪くない。といって特別人目を惹くかというと、それほどでもない。だけど。あいつはきっとそこに見たんだろう。
 素直で真っ直ぐなその瞳は、たくさんの表情を雄弁に伝える。
 正直で、曇りのないそれは、俺もあいつも持ち合わせていない強さ。
『傷ついてもいいんだってさ』
 ゲームという名前で逃げきれなかったオミは、そう言って苦く微笑っていたけれど。
 雨の中飛び出した小さな背中を、傘を放り投げずぶ濡れで追いかけたあの瞬間、お前は走り出したんだ。
 長い長い孤独の中から、抜け出す力を手に入れて。
「もー、まだ動かないのぉ? 紗枝、疲れちゃった」
 つまんない。そう言ってダウンの腰あたりに巻きついた手は、自分が来たいと強請った数時間前のことなど忘れているんだろう。その喋り方に似合いの頭の中身の軽さだ。しかし。それでようやく思い出せた。紗枝、そうか。そんな名前だったっけな。
「まだちょっとかかりそうだぜ」
 宥めるように頭のてっぺんにキスを落としてやると、まるでその先を待つようにすました顔で顎を上げる。大胆なのもいいけど、恥じらいってもんはないのかね。誘われるまま距離をつめながら、不意に思う。
 あのコなら、まず間違いなく髪の毛にキスで絶対に真っ赤になるに違いない。
 比較対象にすること自体が間違いだとオミが憮然としそうなことをチラリと浮かべて。
 口紅、つきそうだな、とどこか白けた気分のまま周囲を窺うように視線をめぐらせた先。
「エーイチ?」
 ピタリと動きを止めたままの俺に、甘えるようなそれがどこか不満げに響いてもそこから目が離せなかった。
『初詣? あんな寒い時にわざわざ何しに行くって? 大体勘違いしてる連中が多いけどあそこは決意表明に行くところだぞ。俺には必要ないね。ご利益より風邪をもらうのが関の山だ』
 新年のセレモニーをくだらないと言わんばかりの台詞で切り捨ててきたはずのオミが、つい数メートルほど前にいた。もちろんそんなオミが一人のはずはなく、その隣に誰がいるのかなんて顔が見えなくても分かる。けれど、何よりその首元に巻かれた白いマフラーには見覚えがあったのだ。

 

 

 あいつがお気に入りのショップで、それを手にしているところに出くわしたのはほんの数週間前。グラデーションを作るように並べられたその中から、ただそれだけを何度も手にしては戻しを繰り返していた。何事も即決型で迷うということのないあいつにしては珍しいそれに声をかけることさえ思いつかずにいた俺に、どうやら買うことを決めた様子でカウンターへと足を向けたオミがようやく気がついたらしくピタリと動きを止めた。
『どうぞ?』
 促されるまでの、僅かにあった間に見せた微妙な表情は俺にも読みきれなかった。
 差し出された白いマフラーはカシミアらしく、手触りもよさそうに見える。けれど何気に見たさっきまでオミのいた棚の上には、あいつの好みそうなカーキ色が残されていた。
 タグを外し支払い処理を終えた女性店員は、このシーズン中のマニュアルなんだろう
『プレゼントですか』
 と問いかけながら、すでに綺麗なネイルで彩られた指先でラッピング用紙を引き寄せていたのだが
『……違います』
 そう否定されて入れられた色気のない無地の紙袋。

 


 それは多分あいつが選んだ生まれて初めてのプレゼント。
 クリスマスに渡せたかどうかまでは知らないが、その事実に俺は口元を綻ばせた。
 きっと今あのコを暖かく包んでいるんだろう温もりは、物理的なそれではなく、あいつが選んだというそこにある。
「もう、信じられない」
 自分以外のものに気を取られたことで自尊心を大いに傷つけられたらしい彼女は機嫌を損ねたように横を向いてしまっていたけれど、それがただのポーズなのはあからさまで。そこにのぞく確かな自信に嗤いだしそうになる。所詮、俺に手に入れられるのはこの程度。
「悪い。向こうに友達がいたんだよ」
「オンナじゃないでしょうね」
「ん? オマエ以上にいいオンナがどこにいるって?」
 自己中心的で我儘な彼女の首筋を指先で意味深に撫で上げると、まるで猫が喉を鳴らすように目を閉じる。
「なぁ、帰ろうぜ。これ以上ここにいて風邪なんかひかせたくねぇよ、俺は」
「でもー、せっかく来たのに」
「ここじゃなくたって、二人っきりで新年を祝えばいいじゃん。あったかいベッドの中で。な?」
 そっと耳元で囁いてやれば、あっさり落ちた。
 お手軽でインスタントな情人は、温もりはくれなくても快楽をくれる。
 俺にはそれで十分だ。
 ただそばにある細い腰を抱き寄せながら、
 次に会った時には二人をどうやってからかってやろうか。
 そんなことをつらつらと考えながら背にしたはずの二人を振り返る。
「そろそろ気付けよな、オミ」
 そして今年こそ、俺を本気で羨ましがらせてみろよ。そう願いながら。

 

 A Happy New Year!

 

 

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