「一帆さん、気分でも悪いの?」
 さっきから一言も口を利かないでいる僕に、行儀の悪い小さな子供を嗜めるように母が問いかける。
 衝動のままそうだと言って、この状況が変わるなら迷うことなくそうしたかもしれない。
「いえ、大丈夫です」
「それならそんなに退屈そうな表情をしないことよ。せっかく久我さんが誘ってくださったのに」
 吹き抜けの空間がさらに広く感じさせるホールでは着飾った人があちこちに散らばり、小さなさざめきを生んでいる。
 そんな中、とりわけ多くの人に囲まれているいつもと変わらない穏やかな笑顔。
 すぐそこにあるそれに、こんな気分になるなんて思わなかった。
「それにしてもよくこのチケットがとれたことねぇ」
「そうですね」
 年末定番の第九。指揮棒を振るのは父のお気に入りの音楽家で、来年から拠点を海外に移すことをつい先日発表し、サプライズで急きょ務めることになったこのコンサートは一気にプラチナチケットとなったらしい。
 顔の広い人であることは認識していたけれど、一体どんな伝手で手に入れたのか。
「しかも四枚も」 
 恨めし気に父の隣で歓談している人を眺める。
 仕事において最も重要なものが人脈だというのは父の持論で、こういう席でも完全プライベートにならないことは過去からすでに学んでいた。だけど。
 久我さんまでがそれに倣うなんて。
 社会人と学生。立場の違いが明確に線引きされたような位置で、僕はただ気にも留めていないふりを続けていた。
 それでもその輪の中にいる誰かの娘なのだろう着物姿もあでやかな人が、もうずっと久我さんを見つめていることに気付かないでいられるわけがない。
 久我さん自身、どうやら認識しているんだろう。あえて完全に視線を外したまま素知らぬふりを貫く人への一方的なそれは不可抗力。
 そんなことにいちいち過敏に反応すること自体が間違っている、そう心の中で繰り返したけれど。
 見ないで、と思う心はどうしても抑えられない。
 分かっていてなお嫌だと思う自分を誤魔化しきれそうになくなって、切っていた携帯の電源を入れた。
「すみません。ちょっと外します」
 さも今、どこからか着信があったかのように装い、誰かに話しかけられていた母の元を離れる。
 こちらから背中を向けることぐらいしか思いつかなかった。

 

 

 

 

 一枚硝子がはめ込まれた大きな窓から望むのは階下のエントランスを一際幻想的に演出するイルミネーション。
 煌びやかなそれは車寄せから望む庭園、そして大通りへと連なるように続いて、一日の終わりと始まりに浮足立つ大勢の人を照らし出す。
 誰もかれもが幸せそうで思わず零れたため息が、映り込む僕の表情を隠すように曇らせた。
「理恵姉さん達は今頃ディナー中、か」
 たくさんの光に紛れて見過ごしていた通り向こうの電飾掲示板が示す時間に、何気なく呟いたはずの独り言がまるで恨み言のように聞こえたことに軽い自己嫌悪を感じながら、それでもこの胸の内に居座る落胆を払いのけることはできない。
「せっかく会えたのに」
 元々多忙な人だけれど、12月に入ってそれはさらに酷くなった。それでも毎日の電話が欠かされることはなかったし、少しでも時間が出来れば会いにも来てくれる。嬉しいけれど休日返上の続く身体を心配して無理しないでと言えば、会いたいのは俺だけかと半ば本気で拗ねられもして。
 だから約束のない年越しに敢えてそれを取り付けようとは思わなかった。これ以上望んだら罰が当たると一抹の寂しさとともに自分を納得させたのだ。ところが。
「ラルゴの年越し新年会。誘われただろ?」
 突然久我さんから大晦日の予定を電話でそう確認された。
『大晦日はカフェ営業のみ。年が明ける一時間前には閉店してスタッフオンリーの新年会』というのがラルゴオープン以来続いているらしく、成人した僕はようやく参加資格を得た。
 そもそも久我さんのご実家は旧家らしく年始は本家にご挨拶に出向くしきたりで、今年初詣に二人で出かけたのは三が日ギリギリだったから、バイトを口実に両親を説得し皆で楽しく過ごすのもいいかもしれないと思っていた。
「店長に『来たらいいもの飲ませてやる』って言われました」
 努めていつも通り。それなのに切り取った誘いの台詞は思ったようには弾まなくて、奥底にあった寂しさを自覚させられながら、だからこそ楽しみだと繰り返して見せたのだけれど。
 そんな僕に僅かに漏れ聞こえたのは思案するかのような短い応え。
「久我さん?」
「悪いけど、ちょっと返事待ってもらってもいいか?」
 返ってきたのはどこか歯切れの悪い曖昧なそれ。
「え、と。それは、もちろん」
 それって、もしかして。上擦る気持ちのまま口走りそうになった声をなんとか抑える。
「久我さんは、ご実家ですか?」
「顔出ししなきゃ煩いからね。ただ、今回は年越しまではいないつもり」
「そう、なんですね」
 探るように遠回しな質問への答えは、確定でも約束でもない。それでもそこにのぞいた期待には気付かれたに違いない。
「だから、ちょっと待ってて」
 言葉を重ねた久我さんに。
 期待しすぎてはいけないとはやる気持ちを抑えながらただ待っていた僕にとって、だからそれはまさに予想外の出来事だった。

 

 

 

 

「え、なんで。ずるいよ」
「阿部のおじ様からお祝い代わりにどうぞってことだったんだもの。それがどうしてずるいってことになるのよ」
 当然と言えば当然の理恵姉さんの主張に言葉に詰まる。
「それとも何? まさかペア宿泊チケットを欲しがるような相手でもできたの?」
 ここで『いる』と言えばどうなるか。伊達に長年一緒にいるわけではない。
「そんなわけない、けど」
「ならいいでしょ」
 勝ち誇ったようなその表情に、歯噛みするもそれ以上僕に何が言えたはずもない。
 きっかけは父さんとは古い友人になる阿部さんだった。
『理恵ちゃん、婚約したそうじゃないか。教えてくれんとは水臭い』
 年明けには披露宴の案内状が送られるはずなのだが、どこからどう伝わったのか阿部さんはわざわざ我が家へやってきた。阿部さんが株主となっているホテルのペア宿泊券を手土産に。
『ディナーも予約させてもらったからな。笹山君も忙しいだろうが年末年始は休みもとれるだろうし、二人でゆっくりしてくればいい』
 無事結納も済み、挙式の日取りも決まった二人だ。さらには阿部さんからのお祝いだということで両親、ことさら父も反対は出来なかっただろう。元旦は笹山さんの実家に行き、翌日はこちらへ顔を出すことを約束にあっさり許された。
 羨ましかったのはもちろんだけれど、それだけじゃない。そしてこんな時ほど僕の予感は的中する。
「もう三人での初詣になるか」
 当日のプランを母と嬉しそうに話す姉を横目にどこか寂しげに呟いた父に、僕もいないかもしれないとは言いだしにくい。どうすればいいだろうかと思案を巡らせ、何も決まってもいない久我さんと一緒に過ごす時間を待ちわびている自分が恥ずかしくなった。
 それなのに。
「大晦日は第九に行くぞ」
 その数日後。年末の予定を、告げられたのは父から。
「久我君がご家族で是非と誘ってくれてな」
 ご機嫌な声と同時、唖然とする僕の携帯が久我さんからの着信を知らせたのだ。

 

 

 

  

『お姉さんが年末年始と家を空けられるらしいって聞いたからね。随分寂しそうだったんだよ、一帆の親父さん』
 そんな人から一帆まで奪い取るにはどうも、ね。と形容しがたい声音で伝えられては頷くより他になかった。
 優しい人だ。僕と一緒にいる為に、きっと色々考えてくれたからこその選択。だから、がっかりしたりしてはいけないと自分を宥めた。 
 だけど。だから。
「やっぱりラルゴに行けばよかったかな」
 きっとまだ今頃は初詣に行く前の人達で賑やかな場所。
 そばにいるのにこっちを向いてくれない人に、こんなことなら野木さん達の誘いを受ければよかったのだと出来もしないことを思いつつしかめっ面をしてみても俯いたままじゃ届かない。
 一人、息が詰まりそうでネクタイをそっと緩める。 
「理恵姉さんのバカ」
 昼間、笹山さんの迎えにうきうきと出かけて行った姉に投げそこなった八つ当たりめいた言葉が今さら零れ落ちて。
「恭介さんの、バカ」
 まだ呼んだことのない名前を唇に乗せ、悪態をついた瞬間。
「一帆くん?」
 誰に呼ばれるより特別に聞こえるはずのそれが、少しだけ他人行儀に響いた。
「一帆くん? 体調でも悪い?」
 聞き咎められたような気がしてすぐに返事が出来ないでいるとそう続けられて人前を意識する。
「いえ」
 気遣われて振り返る。余所行きの顔で僕の名前を呼ぶ人を上目遣いに見ながら、同じように返してみせた。保護者同伴のデートに対するちょっとした意趣返し。
「ホントに?」
 そのくせ顔色を確かめる、そんなふうに前髪を撫でた指先が意味深に耳から頬、そして緩めていた首元にまで滑り落ちてしまえば、思わず目を閉じてしまう。
「こら。そんな表情しないの」
「だって」
 けれどそのまま何事もなかったかのようにネクタイを直されて僅かに尖らせた唇を、慰撫するように親指でなぞられる。
「キスしたくなるだろ」
 吐息まじりに耳元に落とされた台詞ひとつで横たわっていた小さなわだかまりが解けてしまうなんて。簡単にあやされてしまうことがちょっと口惜しいけれど。
「そんなの」
「ん?」
 からかうような眼差しに、もう攫われそうになる。
「久我さんのせいです」
 半ば自棄気味で呟いたそこに残るのは独占欲の欠片。
 子供のような我儘だと自覚しているから窺うようにそっと見上げるけれど、仰ぐ様に上へと向けられた瞳は久我さん自身の手で覆われて見えない。
「まいった」
 独り言のように漏れた言葉を上手くとらえきれず聞き返すけれど。
「いや。なんでもない」
 久我さんは優しく甘い表情でただ笑った。

 

 

 

 

 重なり合い響きあう音色と高らかな歌声がどれほど綺麗に奏でられたのか、鳴り響く拍手にようやく我に返った僕に耳に残っているものがあるはずもない。
 開演十分前を告げるアナウンスに邪魔されて立ち消えてしまった空気を引きずったままでいたのだから当然といえば当然だ。 
「実にいい時間を過ごさせてもらったよ。おかげでいい気分で年越しが出来そうだ」
「いえ。こちらこそお付き合いいただいてありがとうございました」
 満足気な父に応える人の声に、もう五分もしないうちにそれではここでと続くだろう先が読めてしまう。
 とりあえず今年最後の日、一緒の時間を共有できたことを素直に喜んで、出来れば初詣の約束をしてから別れたい。
 メールや電話じゃなく、今この場所で。そればかり考えていたのに。
「それではここで」
 両親のいる前でどうやって切り出そうか。タイミングを計ろうとしていた僕を置き去りに聞こえてきた台詞は予想より早い。
「え、あの」
 慌てて引き留めようと口を開いたものの不自然にならない口実が見つからなくて、言葉より先に手が伸びた。だけど。
「迷惑をかけるんじゃないかと思うんだがよろしく頼む」
「かえって一帆君の方が大変かもしれませんよ。みんな可愛がりたくてうずうずしてるでしょうから」
 掴めなかった腕の代わり、背中を包まれるように引き寄せられた。
「一帆、皆さんに迷惑をかけないようにな」
「お酒はほどほどによ。久我さん、何かあればすぐに追い出していただいて結構ですから」
 人混みから守るように上手に装われ与えられた温もりに、可笑しそうに母に笑われてもなお展開についていけない。
 反応が鈍い僕の背中で注意を引くように指先が小さく合図する。
「一帆君はしっかりしていますからご心配には及びませんよ」
 ね、一帆君? と促されるまま頷いて顔を上げると、落ち着いた大人な表情のその奥に揺らいだ熱に瞬間掴まる。
「では責任をもってお預かりさせていただきます」
 微笑んだ人のそれにようやく事の成り行きを把握した僕は、動揺を押し隠し今にも緩みそうになる表情を取り繕うことに必死になった。

 

 

 


「どうやってうちの両親を納得させたんですか?」
 ホール近くの駐車場に車を停めていたらしい。招き入れられた助手席で二人きりになった途端、自制していた分だけ勢い込んでしまう。実際、特別な日は家族で過ごすことが我が家の暗黙のルールでその最たるものが年越しだ。
 今まで一度たりとも違えられたことのなかったそれが、いきなり理恵姉さんだけでなく僕もだなんて母は許しても父の方が難色を示しても仕方がないのに。
「そんなに不思議?」
 片手で器用にタイを緩める人の横顔が後ろへと流れていくイルミネーションに照らされ見えた、悪戯が成功した子供みたいな笑み。
「うちの店の年越し新年会に誘ったけど、お姉さんのいない年越しが初めての両親が気になるのでって断られたって言ったんだよ。親孝行な息子さんですねって」
 全部が事実というわけではないけれど、まるきり嘘でもない。かなりいい子路線ではあるけれど。
「そう言ったら『生意気を言うようになったものです』って笑ってらした」
「別に、僕はそんなこと」
「思ってなかった? 少しも?」
 からかいのないそれに黙り込むと、片手でそっと頭を撫でられた。
「家族が大事。何も悪いことじゃないだろ? それが一帆だし、そんな一帆を俺は好きなんだし」
 不意打ちのそれに熱を帯びたように頬が熱くなる。
「だから誘ったんだよ、ご両親も」
「え?」
「強引に連れ出してもよかったんだけどね。それで俺以外に気を取られるのも面白くないわけ」
 ストレートな言葉に鼓動が跳ねる。
「まずは一緒に過ごす時間をもってもらってからって考えてるそばで、一帆がつまらなさそうにしてたのはだからちょっと嬉しかったな」
 こちらを見ていないようで実は全部を把握されていたのだと知らされて、隠していた独占欲まで露呈してしまったかのような恥ずかしさに身をすくめた。 
「是が非でもどうにかしなきゃなと焦ってたんだけど、一帆の親父さんがね『終わってからでも間に合いますか』ってさ」
「父から?」
「四半世紀ぶりの夫婦水入らずを楽しむのもいいかもしれないとね」
 水を向けたのは確かに俺だけど、と告げられてはたと気付く。
「それじゃ、始まる前には分かってたってこと?」
「そういうこと」
「それならそう言ってくれればいいのに」
 こちら側を全部見透かされているうえでのそれにせめてもと唇を尖らせて見せる。そうでもしていないとどうしようもなく締まりのない表情になりそうだと思ったのに。
「で、そんな表情見せられて俺に我慢しろと?」
 いつの間に停められていたのだろう。前方へと注意が向けられていたはずの瞳がまっすぐに僕を捕えた。
「意地悪だな、一帆は」
 そんなこと俺に出来るわけないのに。
 そっと囁かれ、視界が奪われる。
 唇に乗せられた温度に、その香りに包まれてしまえば、どうしようもなく駄目になる。
 僕の全部がこの人を欲しがっていて、だから煽られるように離れていく温もりを追いかけて口づけた。
 何も考えられないまま、抱き寄せられた腰をそのままに預けてしまった瞬間、濃密なものに変わりかけた空気を断ち切ったのは耳慣れない電子音。
 おかげで一気に現実に引き戻された僕は弾かれるように飛びすさり、不満げな人の表情とまともにぶつかる。
「え、と」
 ことさら長い溜息とともにさっきまで甘く溶かされた唇が不穏な呟きと舌打ちを零すと、何かに思い至ったようにグローブボックスに手を伸ばした。数枚のCDの上に置かれていたらしいそれは、電話の呼び出し音をいささか大きすぎる音量で響かせている。
 折り畳み式のそれは見覚えがあるような気がするがもちろん久我さんのものではない。それでも表示されているはずの名前には目もくれず無造作に通話ボタンを押してしまった。
「何」
 機嫌の悪さを強調してみせるような底辺を這う声音。けれどそんな短い応えにも臆することがないのか一方的に相手が話しているらしく、どちらかといえば久我さんの方がうんざりしているようにも見えて。
 首を傾げ様子を窺う僕の唇を久我さんにそっと人差し指で封じられ、僕がそばにいることを教えたくないという合図にそっと頷いたのだけど。
「ユーキ! そこにいんだろー」
 不明瞭だったそれが突然僕へと向けられた。まるで見ていたかのように呼びかけられて、ついさっきまでの甘い雰囲気を覗き見られたような錯覚に上気するのが分かる。
「おーい」
「耳元で叫ぶな!」
 苛立ち交じりに久我さんは怒鳴りつけるけど、そうか。確かにこの携帯の持ち主なら動じることはないに違いない。
「お前わざとだろ。そんなことしなくたって……、分かってるよ。行くって言ってるだろ。あ? もうすぐ着くって」
 早々に白旗を挙げたらしい久我さんは面倒くさげに『もう切るぞ』と言い放ち、言葉通り乱暴にフラップを閉じた。
「もうかかってこないとは思うけどな、預かっておいて」
 電話とメール以外に必要性を感じないともう何年も同じ機種のままでいる野木さんのそれを僕に渡してしまうと、嘆息と苦笑いひとつであっけないほどあっさりとその手は離れていく。
「ここで無視したら今度は家まで押しかけてきて邪魔しまくられる」
 触れてしまったからこそ余計に意識してしまうのかもしれない。かけられた言葉になんとか頷いたものの溶かされかかってた気持ちはまだ違うところに置き忘れたままで、ほんの少し前に巻き戻っただけのはずがどんな表情をしていいのか分からない。
 あんなに強く僕を引き寄せた腕はもうちゃんとハンドルを握っているというのに。経験値の違いだと思いたくはないけど、二けたに乗る年の差が恨めしい。
「とりあえず、ご両親へのダシにした手前ラルゴに来ないわけにはいかないだろうっていうヤツの言い分は一理ある」
 嘘はつかせたくない。そんな配慮が嬉しくて、だけどその冷静さもまたほんの少しだけもどかしいのも僕がまだ彼ほど大人ではないということなんだろう。そう納得させたのに。
「カウントダウン前には抜け出すからな」
 散々からかわれそうな騒がしく楽しい年越しを思い浮かべた僕にその人は宣言してみせた。
「……え」
「まさかバカ騒ぎに初詣なんてコースに付き合う気じゃないだろうな」
「や、でも」
「何のために送迎付きの宿泊付きで安心ってところをアピールしたと思ってる。お前は明日まで俺の家に拉致監禁」
 あからさまなそれに、手放せたはずの熱はあっさりと舞い戻り僕を巻き取ってしまう。
「随分お預け食らってるからな。覚悟してろよ?」
 煽られて、意識する。同じ気持ち。
「お返事は?」
 決まりきった答えを強要する声は笑いながら、恥かしくて照れくさくて舞い上がったままの胸にずっと近く寄り添うようで。
「ん」
 とりあえずイエスの代わりに黙ってシフトレバーを握る人の肘を軽く掴みながら、伝えたいなと想う。
 幸せすぎてどうにかなりそうだなんて心のままに口にすれば、どんな表情をしてくれるのか、知りたいと想う。
「あ」
「どした?」
「いえ、あ、間違いなく野木さんに遊ばれるなと思って」
「それは問題ない。ノープランな訳がないでしょう、この大事な日に」
 得意げにそう言う人は何故だかひどく上機嫌で、僕はただその横顔をそっと見つめる。
 二人きりで過ごす初めてのニューイヤーイブ。
 同じ時間を共有する特別を、この先もずっと感じていたいから。
『あけましておめでとう、恭介さん』
 ニューイヤーキスを仕掛けて呼んでみよう。
 特別大切な人の名前を。

 

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