昔から、俺に近付いてくる女はやたらと自信のあるタイプばかりだった。素顔の分からない微笑みは躊躇することなく距離を埋め、主張するのはただ自分の存在。その瞳の奥に覗くプライドは否定されることなど考えもしないで、うんざりしている俺に引くこともなく、まるで判で押したように『一度ぐらい遊んでもいいじゃない』と甘ったるい匂いで囁く。その一度で俺の気を変えさせることなど容易いと言わんばかりに。
 透けて見える下心。駆け引きにもならないそれを無視してしまうことは造作もないことだったけれど、容姿を武器にしなだれかかる彼女達にだからこそ望むものを望むように与えた。一夜きりの火遊び。後腐れのない関係。ルールを差し出した側から翻すことは出来ないと知っていて、それが最も効果的だと分かっていた。次なんてない。他でもない一度という言質が彼女達自身を縛りつける。恋愛とはけして呼べないものばかり繰り返す俺を諌めるヤツがいないわけではなかったけれど、恋愛なんて感情に振り回され一喜一憂する連中を高みから眺めているつもりでいる俺に、その忠告が響くことはなかった。
 ただ一つの温もりを知るまでは。

 

 

 

 

 機嫌の悪さをあからさまに表したところで面白がらせるのが関の山だと、張り付けたはずの笑みも堂々巡りの会話が続いてそろそろ限界が近い。
「分からんのぉ」
 すっかり白くなった髪も刻まれた皺も確実に老いを感じさせるはずだが、ピンと伸びた背筋のせいか実際よりかなり若く見える。古希を過ぎてなお数多あるグループ会社のトップとして君臨し続けている母方の祖父は、ことさら大げさなため息をこれ見よがしにつくと、芝居がかった恨めし気な視線を投げてくる。諦めて頷けば解放されると分かっていてもそうするわけにはいかない俺は、もうかれこれ二時間は続いているやりとりを今度こそ終わらせるべく目の前に突き出されたA4サイズの代物を再び押し戻した。
「何度も同じ話をされるほどお暇ではないでしょう。今のところそんな気はありません。それに相手ぐらい自分で見つけますよ」
「お前にまかせとったら死ぬまでに曾孫の顔が見れんわ」
「大丈夫ですよ。谷地の本家には泰幸がいますから」
「あれはまだ学生だろうが。お前が先に決まっとる」
 残念ながら俺の子供は百歳まで生きたとしても見られませんから。心の奥底で呟いた本音を飲み込む。
「それなら長生きしていただくしかないですね。ということで、もうそろそろ構いませんか。申し訳ないんですが、この後の打ち合わせに遅れますので」
 冷めきった珈琲を前に、言外にタイムリミットをアピールすべく図面の入ったアジャスターケースを掴む。経営者である祖父にとって、取引先との約束は効力のあるキーワードだ。偶然とはいえ新規のアポに感謝したその瞬間。
「そりゃ問題ない。お前の相手はここに来るからな」
 立ち上がりかけた足が止まった。
「は?」
「何だったかの。一つのブランドやデザイナーにこだわらない店というのは」
 仕事で先約があるというのに昼食をとる時間ぐらいあるだろうと半ば強引に車に押し込まれたのだが、どうやらその新規の依頼自体に祖父が一枚噛んでいるらしい。そもそもランチミーティングが定番の祖父が、平日の昼に高級料亭でメシだなんてこと自体、おかしいと思うべきだった。
「セレクトショップですよ。電話でお話しした際にはかなり自由にやらせていただけるようだったので、色んな提案が出来るかと楽しみにしていたんですが。そういうことなら、このご依頼はまた後日知り合いの建築士を寄越しますので」
 現在、かなりタイトなスケジュールなのは本当のところで、これ以上仕事を受けるのは実際かなりキツい。分かっていて話を聞く気になったのは仕事内容が面白そうだと思ったのもあるが、本当のところそれだけではない。ただそれが祖父の目論見のうちだったと知った以上はそれに乗るつもりもないと呼び止める声を無視して開けた襖の向こう。
「久しぶり。大学卒業以来かしら」
 長かった黒髪が肩口で揺れていた。けれど背後にいる祖父に軽く頭を下げながら、その媚びない瞳は昔のまま。
「潔癖なところは相変わらずね。だけど他の誰かを呼ぶ前に話ぐらい聞いておくべきじゃない? 恭介」
「彩加さん」
 ため息交じりに呼んだ名前に、七年ぶりに会う大学時代の先輩はデキる女の様相そのまま口元で笑みを形作った。

 

 

 

 

 ふわりと届いた馴染みの薫りに不意に意識が引き戻された。開店間際。まだ準備中のフロアの中、定位置のカウンターではなく奥のテーブル席で少しだけのつもりで広げた図面に知らず集中していたらしい。
「コーヒー飲みに来たのか、たんに開店前の邪魔をしに来たのか、どっちなんだよ」
 忙しくフロアを立ち回っているその手を止めさせ、西村のコーヒーでいいからと冗談半分で口にした台詞に青筋を立てたヤツが、トレイを肩口に掲げたまま仏頂面で見下ろしていた。
「今度ユーキのいない時には水出してやる」
 悪態をつきながらも少々乱暴な手つきでテーブルの上、一口しか飲んでいないそれが挽きたての深い薫りがたちのぼるものへと換えられるのは、持ってきた野木ではなく西村の配慮だろう。自分の入れたコーヒーが冷めて香りも風味も落としたまま漫然と飲み干されるのが許せないに違いない。カウンターからこちらを窺う西村に向けて謝罪すると、今度こそその芳しい薫りと適度な苦みにある柔らかさに一息ついた。
「どうやらかなり忙しいみたいだな」
「ま、ちょっと立て込んでてな」
 視線の先にある図面は、彩加さんから請け負ったセレクトショップのものだ。友人達と立ち上げたばかりだという会社にかける意気込みと、さらには後輩という理由だけでなく実際に俺が関わった建築物を見て依頼を決めたと聞かされ持ち込まれた幾つかの難しい要求に、結局受けることにしたのだ。その会社の出資者に祖父が名前を連ねていたことには目を瞑ることにして。
「今度のゴールデンウィークはユーキと旅行に行くってはりきってたくせに。そんな調子で大丈夫かよ」
 カップの中が小さく波打ったのは、一瞬。
「あぁ、それな」
 卒業祝いと入学祝いを兼ねて旅行にでも行こうか。そう誘ったのはまだ年が明けて間もない頃。恋人というには曖昧な距離をそろそろ縮めたい。そんな焦れる想いを押し隠し、助手席でCDのラベルを探す指先を端に捉えながら、まるで今思いついたように切り出したけれど。
『入学祝いは、気が早すぎです』
 迷うことなく返ってきたのは断りの常套句。どこかで予想していていながら気落ちしている自分を悟られず、どんな軽口でなら上手く収められるかばかりに気を取られていて。だから、続いた言葉に反応が遅れた。
『でも卒業祝いならいいのかな?』
 それが同意の意思表示だと間抜けにも気付いたのは迷うように揺れた『どうなのかな?』なんて呟きで。確認済みのスケジュールを考えるふりで誤魔化しながら、五月の連休あたりでどうかなんて具体的な日程を提案して、頷いてくれた一帆の時間を誰にも何にも邪魔されないよう早々に約束をとりつけたのだ。だけど。
『ごめんなさい。あの、ね』
 思い出した、申し訳なさそうに響いた声に、ざらりとしたものが胸の奥を撫でる。
「言ってなかったか。家族旅行とバッティングしたんだって」
 つまらなそうに大げさにふてくされてみせると、ざまあみろと人の悪い表情が応えた。
「仕事前倒しで調整しまくったのに。やっぱ散々遊んだツケって回ってくるもんなんだなぁ」
「うっせぇ。お前、そろそろ行けよ」
「オーナー命令とあらば」
 わざとらしい台詞に、こらえきれない笑い声が混じる。
「あのな」
「野木! 外線1番に佐々部さんから電話!」
 らちもない会話は事務所から顔をのぞかせた邑久に遮られた。
「おっと、じゃ。このコーヒー代は俺が奢ってやるよ」
「何だ、気持ち悪い」
「さすがのお前でも、敵わない相手がまだあったって記念にな」
「言ってろ」
 くだらない。そんなふうにちゃんと聞こえただろうか。向けられたままの背中は、ひらひらと手を振って奥へと消えた。
「敵わない相手、か」
 こみ上げる自嘲めいた嗤いに抗うようにコーヒーを飲み干すけれど、さっきまで美味いと思ったそれは苦みばかり残す。
「見たくなかったな」
 ほどけるように無防備なそれが向けられる先にいるのは、俺でありたかったけれど。逃げることを許さないように、まるで残像のように焼き付いて離れない。
「もうすぐ身内、か」

 

 

 

 

 施主との打ち合わせの途中、相手の都合で僅かに空いた時間。近くに新しく出来た複合テナントビルに足を向けたのは、仕事の延長というよりその中に旅行代理店があったことを思い出したからだった。あまり早くにパンフレットを集めるのもどうかと我慢していたけれど、もうそろそろいいだろう。弾む気持ちを抑えながら、幾つか見繕っている候補地を頭の中並べていた。そんな軽かった足先が縫いとめられたように動かなくなったのは、数メートル先に見間違うはずのない横顔を見つけたからだ。雲一つない空と海のポスターで埋め尽くされたショーウインドウ。眩しいほどの青から泳ぐように歩き出す君の隣。
『僕だって楽しみだったんです』
 平日の昼間だからだろうか。それとも君の声だったせいなのか。途切れずに届くその声はひどく楽しげに響く。
『笹山さんだってそうでしょう?』
 どこか甘さを滲ませて、ふんわりと微笑むそんな表情を初めて見た。
 出会った頃の大人びた表情ではなく、少しだけ子供っぽい仕草や照れくさそうな笑顔を見せてくれるようになって、向き合ってくれていると感じていた。
 だからずっと待っていた。
 抱きしめてしまいたい衝動を押し殺して、ただずっと返事を待っていた。
 『好きだよ』と刻む様に繰り返し、同じ言葉を、同じ気持ちを待っていた。
 だから。君が頷いたあの時、その日が来たのかと思ったのだ。
 だけど。
『家族旅行に、行くことになっちゃって』
 どこか後ろめたささえ感じる声で告げられたのはそれから三日後。きっとあの日、抱えた封筒の中にあったのは結局俺が手に出来なかったパンフレットだったのだろう。
 たとえばあの時、あいつがいなければ。君に声をかけて一緒に行き先を選んでいただろうか。
 たとえばあの時、強引に近付いて振り向かせていれば次の旅行の約束を取り付けただろうか。
「そっか。仕方ないな」
 けれど、俺は結局何もできなかった。だからそう口にするのがやっとだった。ただその瞳にのぞく何かが怖くて、そっと視線を外して。
 傍で笑っていたはずの表情が俺の中から消えていく。その代わり浮かぶのは、どこか遠い眼差しと、物言いたげな唇。
『他の誰かのことなんて考える余地もないぐらい、俺の気持ちに降参させてやる』
 揺らぐことのなかった決意は、どこをどう探しても見つけられないような気がしていた。
 屈託のない笑みも、甘えるような声も知らなかった俺の中には。

 

 

 

 

「それでは持ち帰りまして見積もりに入ります」
 準備されていたのはファッションビルの一角。激戦区をわざわざ選択した、自身もインテリアスタイリストである彩加さんの要望は当然だが当初からずっと高かった。
「この夏にはオープンするから」
 予定でも依頼でもない。内装施工担当との打ち合わせでこちら側の都合も聞かず一方的に宣言してみせた彼女は、その分だけ確固たるイメージを作り上げていた。パースも平面図も立面図も何枚描いたか分からないほどだが、予定より早くこうして施工業者に実施設計図を渡すことが出来たのもそのおかげだろう。
「じゃ俺も事務所に」
「待って。まだ恭介には用事があるから」
 抱えている仕事は他にもある。空いたならその次と立ち上がったものの、クライアントの顔で引きとめた人を拒むことは難しい。
「とりあえずこんな時間だし。話しながら食事にしましょう」
「すぐ済むならここでも」
 やんわりと長時間拘束の予感に抵抗を試みようとしてはみたものの、あっさり鼻先で笑われた。
「どこかおすすめのところある? なんなら恭介の店でもいいけど」
 誰から聞いたのか、ラルゴを知っているらしい。このまま放っておけばそのまま一人で行きかねない彼女を、これ見よがしについた長い溜息程度で阻めるはずもない。仕方なく携帯を取り出して多少は融通のきく店を選び出す。やたらと勘のいい人をどうやって躱すべきか。呼び出し音を耳にしながら、さぞ満足げな表情をしているだろうと僅かに上げた視線は、携帯を片手にしたまま頼りなげに揺れる瞳にぶつかった。
 見たことのない表情。そう思った瞬間、もうそこにいたのは彼女ではなかった。引き金のように重なるのはただ一人。

 

 

 

 

 とりあえずビール。入口で出迎えられた顔見知りの店長に入れたオーダーをオヤジみたいだと笑ったくせに、グラス半分を一気に空けた彩加さんはまだ湯気の上がるオリーブオイルのかかったフォカッチャをつまんだ。俺はといえば並ぶ前菜からチーズを一切れ放り込んではみたものの、グラスの中身は一向に減らない。そんな俺の目の前で空になったグラスと新しいグラスとを取り換えた彼女は、不味そうに飲むなら勿体ないとウーロン茶を頼んだ。
「で。何むきになって仕事してんの」
 しばらくは本当に仕事の話で、ビジネスディナーと変わらないと安心したタイミング。向けられたのは確信に満ちた問いかけだった。確かにここ一ヶ月の間、常に分刻みで動いている。会うたびに電話やメールはひっきりなしの俺に、どうやらさっきの打ち合わせの際、空白のないスケジュール帳を隣から盗み見たらしい。
「その一端を自分が担ってるって分かってて言ってます?」
「そうね。でも断ることもできたはずよ? 第一私の仕事を受けた後に進行したものもあるようだし」
 こんな状態になるのはフリーになりたての頃以来だ。あの頃はとにかく周囲にこの道でやれることを示そうと躍起になっていた。だけど。
「今の恭介は仕事に没頭してるというより、何かから逃げるために仕事を利用してるようにしか見えない」
 意図的に詰め込んだ仕事は、無効になった約束の日を超えた先もまだ埋まっている。次のオフなんて当分ない。
「何が『急に仕事が入ったからゴメン』なんだか」
 不意打ち、その台詞にたじろぐ。それは、夕方の電話。
「おかしいじゃない。今日の打ち合わせは以前から決まってたはずなのに」
 もうずっと前からの約束を変更もしないまま、ドタキャンした。会わないのではなく、会えない。そう聞こえるように。
「仕事を理由にしなきゃいけないような面倒な相手かとも思ったんだけど、それもどうも違うみたいだし」
 会って顔を見れば、みっともなく問い質してしまいそうな気がしたのだ。『やっぱりあいつがいいのか』なんて陳腐な台詞で。
『お仕事じゃ仕方ありません』
 物わかりのいい返事は本音なのか、それとも今頃はアイツと会ってるのかなんて。キャンセルしたのは俺なのに、気になって気になって仕方がない。
 現実を知るのが怖いだなんて、いい大人が何をやっているんだろう。どれだけ引き延ばしたところで、いつか必ず事実は目の前に突き付けられるのに。
「恭介をそんなふうにしてしまうコか。興味あるなぁ。ね、彼女どんなコ?」
 そんなものはいないととぼけることも出来た。だけどこの場で嘘をつけば、本当に何もかもすり抜けていく気がして。
「俺の、なんかじゃありませんよ」
 零れ落ちた苦い本音に、自分自身が納得する。
『今はまだ』
 少し前なら続いたはずのそれは俺の中をどんなに探っても見つからない。
 それが真実だと、囁く声が聞こえた。

 

 

 

 

 昨夜は結局食事をした後で事務所に戻り、どうにも眠れそうもないと図面を一枚あげて寝たのは明け方。それなのに何かに引きずられるように目が覚めた。うたた寝に近い睡眠だったせいかどことなく頭が重い。ソファベッドの上、毛布の中で腕時計を見ると現場確認の約束までもう二時間を切っている。重苦しさを払いのけるように起き出すと目に入った皺だらけのワイシャツは昨日の自分のようで、替えはまだあったかと意識を外へと向けた。そんな時。鳴らされた事務所のインターフォンに、ようやく起き抜けに鈍く響いた音がこれだったらしいことに思い至る。
「誰だ」
 今日は日曜で事務所でのアポはない。だからこそ終日外出の予定を組んでいたのだ。まして基本約束なしでここを訪ねてくるような客はいない。
「いや、いたな。一人」
『いい大人が、どういうつもりですか』
 静かに、声を荒げることなく、けれどだからこそその冷ややかさに感じた強い怒り。
『大事な義弟をこれ以上傷つけるつもりなら、こちらにも考えがある』
 厳しい視線に晒されて、それでも自分を抑え込んだのは、もちろん俺が一帆の気持ちを口にするわけにはいかないと思ったのも間違いではないけれど、本当はそれだけじゃない。
 まだ間に合うと思ったのだ。
 義弟というその言葉に見えた苦しい現実に、一帆が選ぶべき選択肢を知って。つけ込むように好きだと告げた。忘れさせてやる。そう思った。
 だけど。
 目を瞑り、耳を塞いできた現実は、もうすぐそこに見えているのかもしれない。

 

 

 

 

「俺のこと、覚えてますか」
 同じか少し低いぐらいだろうか。目線はそう変わらない。バランスよく整ったパーツの中で僅かに下がった目尻は、マイナスにはならないだろう。真新しいスーツ姿もあって最初は新手の営業かと思ったのだが、開口一番の台詞にその可能性は消えた。かといって心当たりがあるかというと全くで。
「市川博道といいます」
 その名前を聞いても何も引っかからない。けれど目の前にいる相手はまるで睨むように真っ直ぐこちらを見ていて、自分のテリトリーにいるはずなのに居心地が悪い。
「市川君、ね」
 寝不足の頭であちこち記憶の引き出しを引っ張り出し照合を繰り返してはいるが、どう考えても社会人になりたてか、まだ学生だろうこいつとの接点はないようにしか思えない。
「あのさ」
「七年前、家庭教師をお願いしていました」
 家庭教師。差し出されたキーワードに連なるようにその名前がうっすらと浮かんだ。
「思い出していただけましたか」
 意味ありげな笑みは俺の知っていた中学生とはあまりに印象が違っていて、これで思い出せというのはかなり難しいだろう。
「あぁ。学生の七年は長いんだな」
 随分と大人になった元教え子に、けれどだからこそ混乱が深まる。無事第一希望の高校に合格して以来会ってもいない彼が、どうして今頃ここにいるのか。
「どうして俺がここにいるのか、不思議ですか?」
 わざわざ調べたに違いないが、そうまでして俺に会いに来た理由が分からない。
「そうだな。昔を懐かしむ、なんて話じゃないんだろうってことぐらいは分かるけど」
「さすが久我センセ」
 微妙なニュアンスに、僅かに感情が乱れるのが分かる。
「どっちにしろ、あんまりいい話じゃなさそうだ」
「どうでしょう。久我センセ次第ってとこだと思いますよ?」
 身構えようにもデータが少な過ぎるし、正直予想すらつかない。俺はゆっくり息を吐き出した。
「俺次第? そりゃ怖いな」
「別れてください」
 挑発しない程度に緩めていた口元が、強張ったように固まる。
「あの人と、別れてください」
 強い意志に満ちた眼差しに、射抜かれたまま。

 

 

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